2013年9月3日火曜日

ホタテ養殖のお手伝い

8/18(日)には名取の箱塚桜団地での夏祭りをお手伝いをし、夕方そのまま石巻に向かい、翌8/19(月)~21(水)までの3日間、チーム王冠のボランティア活動に参加しました。 

3日間とも、女川でのホタテ養殖のお手伝いでした。この1年以上、毎月のように参加しており、そのほとんどが漁業支援でしたが、ホタテ養殖に関わるのは初めてです。今回は夏休みを利用して、関西からはるばるやって来た大学生さん2人と一緒でした。
 

朝7時にサポートセンターを車で出発、8時過ぎには女川の浜に到着し、早速作業開始。

ホタテの稚貝をつけるためのプラスチックのピン(写真右のピンク色)を、1センチ幅のロープに約20センチ間隔で刺して行きます。1本のロープに刺すピンの数は約70本。1日にできる量は初心者で30本、ベテランで60本とのこと。
 
 
 
機械に通したロープに直角にピンを刺す
 
 
 

左のレバーの先には針が付いていて、レバーを右に動かすことで針がロープに刺さる。その針の溝にピンを差し込みながらレバーを左に戻すと、その瞬間にピンがロープに刺さる仕組み。
刺したら、ロープを手前に引き、また同じように刺して行く。この繰り返し。
 
 

ピンには「かえし」が付いているので、一度ロープに刺さったら絶対に取れない。1本のピンに2個(ロープの両脇に)、ホタテの稚貝をつけるとのこと。
 
1本のロープにピンを刺し終えたら、巻いて最後はほどけないように縛る。それが10本になったらさらにそれを束ねる。



 
3人とも、ほぼおしゃべり無しで黙々と作業を続けました。
 
どこの浜へ行っても、地元の漁師さんはこう言います。
「1つでもやってくれるだけで本当にありがたいんだよ。遠くから来て疲れてるでしょう? 無理しないで休んでね」と。

私たちが陸で作業している間、漁師さんたちは主に海での作業で、ほとんど顔を合わせることはありません。でも任せてくれているからこそ、漁師さんたちが安心して自分の仕事に専念できるよう、間違いなく、そしてできるだけ多くの作業をこなしたいと思います。 

しかし1日目はとても蒸し暑く、特に昼食後の午後はどうしても作業効率が落ちます。
男子大学生の1人が、「キツイですね…」と思わず漏らします。

私は、「そうだね、キツイねーー(本当の本音)。でも、被災した人たちの方がもっとキツイと思うんだよね・・・」と答えました。

 
今までのボランティア活動では、本音を言えば、きつくなかったことは、ほとんどなかった。特に私は体力も根性も無い方なので。でも「今の自分のつらいのはほんの一時。被災した人たちはもっと苦しい思いをたくさんしてきたんだ」と思うと、もう一歩、頑張れた。


男子大学生が「キツイ」と言った時、「休んでいいよ」と言いたい気もしました。もちろん事前に、水分補給や休憩は各自の判断で取って良いということは伝えてあります。

でも自分が辛いと感じた時にこそ、被災した人の苦しみを少しだけでも心身で実感できる瞬間なのではないかと思うのです。もちろん、まったく足元にも及ばないのですが。

そうしたら、その夜のミーティングでその男子は「杉崎さんにそう言われて、ああそうかと思って気合い入れ直して頑張りました」との報告をしてくれて一安心。
 

黙々とやった作業のおかげで、初日は3人で170本のロープを完成させました。3人とも初心者なので90本が目安でしたが、それを大きく上回り、ベテランと同じ位の量になりました。1人ではきっと60本近くもできなかったでしょう。お互いにコツを教え合い、励まし合ってできたことでした。

2日目、3日目も、合間に別な作業を少しお手伝いする程度で、基本は同じ作業でした。

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ホタテ養殖漁師のお父さんのお話。 

「 昨年は暑くて海水温度が下がらず、ホタテがほとんど全滅。今年も心配。
震災前に比べて、ホタテを買い取ってくれる業者が半分になってしまい、なかなか売れない。
放射能の風評被害もある。検査したものだけを出荷しているのでぜひ食べて欲しい。ボランティアさんたち、地元に帰ったら、ホタテ食べてってみんなに言ってね。」 

「 今まで何十年かけて、少しずつ少しずつ積み重ねて来たでしょ。船とか機械とか。それが全部なくなって、一気に全部を始めなきゃいけないからね、大変だよね・・・」

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 ところで、先日の8/25(日)に、NHKで石巻市の北上・相川地区のことを取り上げていました。 

「震災によって、若者が外に行ってしまい寂しくなった。過疎化が早まるのではないかという不安がある」というものです。 これはおそらく、どこの被災地でも同じような不安を抱えていると思います。

それに対して、中越地震で集落の人口が半減してしまった、山古志のある地区ですでに行われている成功例を紹介していました。

何かの行事や手伝いが必要な時には、この地区にご縁のある全国の人(住人の子どもや孫、かつてここに住んでいた人、そして震災時にボランティアに来た人)などに声をかけて、手伝ってもらう。そして他の土地に住んでいる人も、山古志を故郷と思うようになり、可能な時に手伝うという仕組みが出来上がっている、というもの。 

チーム王冠は2年以上前から、「浜の繁忙時にボランティアを投入する」ということをやっていますが、まさに山古志と同じだなと思いました。
 
そして、先日の名取の仮設住宅での手伝いでも、住人の方が笠原君に、
「去年も来てくれた?去年の焼きそばおいしかったねー」と何人かの人が話しかけていました。
毎日・毎月でなくても、1年のうち必要な時のお手伝いでも次に繋がって行くんだなと思いました。

具だくさんの焼きそばを焼く笠原君  at名取 箱塚桜団地仮設住宅

 とは言え、海水浴場や公園や個人の庭を再生させるにも、子どもが転んでも怪我しないよう、瓦礫のかけらを取り除こうとしたら、大変な労力が必要です。やっぱりボランティアは増えて欲しいなとも思うのでした。 


記 : 杉崎 庸子

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