2012年10月26日金曜日

10月20日(土)に開催された、箱塚桜団地仮設住宅(宮城県名取市)芋煮会に関する支出の報告です。

合計32,797円をプロジェクトでお預かりしたご寄付より支払いました。

費目   金額(円) 備考 
 食材
32,311 ※1
 資材(レンタル)
6,162 ※2
 資材(購入)
2,324 ※3
 参加費
▲8,000 ※4
 <合計>
  32,797  

※1 購入した食材(宮城県バージョン120人分/山形県バージョン120人分)
野菜(里芋、長ネギ、ニンジン、大根他)、豚肉、牛肉、豆腐、こんにゃく、みそなど

※2 レンタルした資材
寸胴鍋、ゴトク、プロパンガス

※3 購入した資材
紙皿(250枚)、割り箸(200本)など

※4
参加したボランティアから一人あたり1000円徴収し、支払いに充てました


*芋煮会リポートを読む


以上、報告いたします。皆様の暖かいご支援、ご協力に改めてお礼申し上げます。ありがとうございました。
杉崎順一(会計担当)

2012年10月22日月曜日

芋煮会in箱塚桜団地仮設住宅

10/20
今年も天気に恵まれ、ポカポカ陽気の中
芋煮会を開催することが出来ました。

今年も山形ボランティア隊の皆さんがお手伝いして下さいました。


http://www.yamagata1.jp/2120.html

毎週のようにボランティアに来てくれていた皆さんで
僕も何度か一緒に活動をしましたが、
ものすごいパワフルで団結力があって、あっという間に
瓦礫を片付けてしまう頼もしさがあります!







秋の初めから東北各地で芋煮会が行われているようですが
「宮城の芋煮」「山形の芋煮」を一度に食すことが出来るのは
箱塚桜団地仮設住宅の他にはあまりないのではないでしょうか。

 
そもそも僕は仮設の自治会長さんに『芋煮会』をやってほしい
と言われるまで『芋煮会』の存在を知りませんでした。
そこからあれこれ調べて、どうやら地域によって
味も具材も違うのだという事を知りました。

せっかく宮城と山形の人が両方集うのだから
それならどっちも作ってしまおうと。

閖上のおかぁさんたちの華麗な包丁さばき、
手際よい作業のおかげで寸胴100Lほどの芋煮が完成しました。

宮城版芋煮

山形版芋煮


子供からお年寄りまであつまって太陽の下
みんなで作って鍋を囲むというこの文化が
東京に住む僕には少しうらやましく思えます。





費用として食材代、資材代(寸胴、プラスチック皿、割り箸)合わせて
38,310円かかりました。
ボランティアさんの参加費8名×1,000円=8,000円
を差し引いた額を東北ほっとプロジェクトへ
ご支援いただいたお金から使わせていただきました。
プロパンガスの使用分が10/22以降に請求されるので
それを待って正式に収支報告に掲載させていただきます。
ご支援いただいた皆様には心より感謝申し上げます。

ありがとうございます。

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「来年もきっとやりましょう!」
そんな約束をしながら、
来年はこの仮設はどんな状況なのだろう?
まだここに皆さん住んでいるのだろうか?
新しい町はできあがっているのだろうか?

そんな事を考えます。

関東にいても時々テレビのニュースで東北各地の
復興計画、土地利用、町の再建などに関して報じられていますが
閖上の復興計画については東北道路を挟んで、
元の海側の地域に町を再建したという住民の方々と
西側の畑をつぶして新たな居住地を作りたい方々と
両方がおり、話し合いが行われています。

http://www.city.natori.miyagi.jp/fukkoukeikaku/node_14998

上記URLから第14回閖上復興まちづくり推進協議会の議事録を見ますと
アンケートをとった37%の人が元の海側の地域に
町を再建することを望んでいるようです。
(西側移転に比べると多いようです。)

震災・津波に対しては将来に同じ被害を繰り返さないように。
また閖上の町のアイデンティティを失わないように。
街づくりはまだまだ先が長いように思えます。

2012年10月18日木曜日

10/20開催の芋煮会の詳細につきまして

昨年に続き、今年も宮城県名取市の仮設住宅の方々と
山形からのボランティアさんとで作る東北の風物詩
”芋煮会”を開催する運びとなりました。


思えば昨年5月、この仮設住宅が出来立ての頃に
「困っていることはないですか?」
と一件一件聞いて周り、子供らから
「水鉄砲10000丁!!」と言われ、
「わかった帰ったら送るわ!」と
トイザラスで30丁の水鉄砲と
3つのビニールプールを送ったのが今の関係の始まりでした。
(このプロジェクトが立ち上がる以前の自分の震災blogに
書いてあったのを見るまですっかり忘れていました・・・)

http://ameblo.jp/soichiro1981/
東北ほっとプロジェクト以前の活動です。
自分で振り返ってもいろいろと考えるところがございました。



さて、芋煮会につきまして
本日ようやく全ての発注が完了しましたので
(直前となり恐縮ですが)状況を報告させていただきます。


当日は芋煮(宮城版、山形版各120人分)をみんなで作ります。

食材約30,000円
資材約10,000円

合計で40,000円ほどの費用がかかります。
※詳細な収支報告につきましては芋煮会終了後
すみやかにこのblogにて掲載させていただきます。

今回は当日参加してくれるボランティアさんたちから
一人1,000円の参加費をいただく事に致しました。

東北ほっとプロジェクトへご支援いただいたお金からは
30,000円ほどを今回使わせていただきたく、
この場を借りてご連絡いたします。

前回は地元農家さんたちから非常に安い価格で食材を提供頂いたこと
寸胴等をボランティア団体さんからお借りしたこともあり、
昨年実績と比べて費用が少し多くなっております。

今回もほとんどの食材は現地のお店、農家さんから
仕入れておりますので気持ちばかりですが
経済的な支援に繋がればと思います。

以上、よろしくお願い申し上げます。

東北ほっとプロジェクト:笠原宗一郎

2012年10月4日木曜日

【活動報告】 コミュニティー支援「お茶っこバス」

9月29日(土)、石巻市内でコミュニティー支援活動を行いました。

石巻を中心に宮城県内で、主に自宅で生活する被災者を対象に包括的な支援を続けている、一般社団法人「チーム王冠」に協力する活動です。「お茶っこバス」については5月の記事を参照願います。

今回はお茶っこバスの最中に聞けた被災者のお話から、一部ご紹介します。


<半分以下になった地域住民>

石巻市内の住宅街。石巻港から直線で数百メートルにあり、震災以前は住宅が立ち並んでいただろうことは容易に想像できますが、現在は櫛の歯が抜けたように空地が目立ち、雑草が茂っています。
お話しを聞けたのは70代の男性で、3.11の当日はご自宅の1階部分がすべて(天井まで)水没。2階の床も濡れてしまうくらい津波が上がってきたそうです。家の外壁には水の跡がまだくっきり残っていました。

「このあたりにお住まいの方は、以前に比べてどのくらい減ってしまったのですか?」
「震災までは、例えば回覧板を回す範囲でも30人くらいいたと思うが、今は7~8人しかいない。津波で亡くなった方ももちろん沢山いるし、後日病気で亡くなった人もいる。あとは仮設住宅や別の場所に移り住んでしまった。」
「いま空地になっているところも以前は家があったようですが、家を建て直して戻る人は?」
「ここは新しく道路が建設される場所になっているから、新しく家は建てられないよ。だから出ていく人はいても、戻ったりすることはないね。減る一方さ。」

石巻市役所は防災計画を加味した新しい街作りのための青写真を既に発表しています。これによると海岸線に近い部分に新しい道路を建設することになっています。この一帯はその建設予定地に指定されていました。
したがって新しく家を建てることはできず、今住んでいる人も国なり県に土地を売り、離れることになります。

しかしながら道路建設のための用地買収はほとんど進んでいないようで、男性も、「設計図ができただけでその後は全然話がないねぇ」と言っていました。実際、津波で壊れた塀も修理せずにそのままになっていて「直すつもりはない」とのことです。

この地域は新しい道路建設予定地という、ほかの地域とは違った事情があるので、復旧はあっても街の復興はないようです。
用地買収が進めば新しい土地に移り住むことになると思いますが、一筋縄ではいかず、最低限修理した家屋にいつまで住むことになるのかご本人にもわからず、人が減って寂しくなった土地にしばらく住み続けることになりそうです。
震災を忘れることはまだしばらくできないと思われます。


<冠水や泥だらけ道路に悩む日常>

前述とは別の場所。同じ石巻市内ですが、万石浦というカキ養殖で有名な入江の近くです。
この一帯は震災による地盤沈下が激しく、一説には1メートル以上沈下したといわれています。

石巻市は地盤沈下で悩む土地が多く、例えば市内を流れる旧北上川沿岸では浸水のため避難勧告が度々出ます。事実、活動した後日も台風17号が接近し避難勧告が出されました。

さて万石浦に近いところも地盤沈下や津波で壊されたアスファルトの修復が進まず、地図にはあっても通行不可能な生活道路があります。少量の雨でもデコボコの道路は泥だらけで歩くのにためらいますし、例えばセニアカーを使うお年寄りは非常に難儀する道路です。
また住宅街にもかかわらず街灯がまだ普及せず、日没後は懐中電灯なしには出歩けません。この日訪れたのは夕方6時過ぎでしたが、お茶っこに集まっていただいた皆さんはライト持参でした。

道路の修復の予定はないのですか、と聞いてみたところ、「まだしばらく直らないと思うよ」とのことでした。
地盤沈下は被災地が今も抱える震災の爪痕で、根本的な対策が進まない限り今後も大雨の度に冠水に警戒しなければなりません。


被災地が抱えるインフラ整備の遅れはメディアの報道でも紹介されることが少なく、被災地外にいると「おおかた元通りになったのだろう」と誤解しがちです。
しかし生活道路の復旧すらままならなず、とても不便な日常生活を強いられる場所は珍しくありません。全ての人が仮設住宅に入居できるわけでも、新しい土地に移り住めるわけでもありません。不便を承知で住み続けなければいけない人たちは、まだまだ支援を必要としています。

報告:杉崎順一
活動日:平成24年9月29日
場所:宮城県石巻市