2012年9月18日火曜日

【活動報告】 復興祈願法要(石巻港)お手伝い

9月15日(土)、石巻市魚町の石巻港岸壁を中心に行われた法要に、杉崎順一と杉崎庸子2名でお手伝いで参加してきました。

日ごろから連携している一般社団法人チーム王冠から要請があり、チーム王冠のボランティアと協力し、約10人で駐車場の誘導や案内、岸壁の見回りなどを行いました。9月中旬にしては残暑が厳しく、夏の日差しがまぶしい一日でした。

この法要は正式には「震災復興行脚 復興祈願法要・震災慰霊海施餓鬼法要」と言います。
震災発生から1年と半年が経過したのを機に、曹洞宗宮城県第13教区と県曹洞宗青年会の主催で、宮城県内外から約70名の僧侶が集まりました。
また地元の遺族も多数参列。石巻の海に向け、読経と焼香で御霊を供養する時間が流れました。
なお、同県気仙沼市でも同様の法要が開催されたそうです。


三陸河北新報電子版の記事(2012年9月16日付)


会場となったのは石巻魚市場の近くで、津波の直撃で壊滅的被害を受けたところです。震災前は市場を中心に、水産関係の倉庫や工場、事務所などが多数あったところですが、1年半経ったいまでも、再開したのは一部だけで空地が目立ちます。
それでも少しづつ復興に向けて歩み始めていると見るべきなのかもしれませんが、破壊された建物がいやでも目に入り、アスファルトは不自然にめくれたままです。被災地の日常の風景は、”非”被災地で暮らす我々が想像するより、まだずっと「被災地」なのです。

石巻は水産業の町なので、このあたりが復興しなければ地元の雇用も回復しないのでしょう。人は仕事の無いところで暮らすことはできません。
<地元で仕事がない→職を求めて土地を離れる→人口減少→地元経済の停滞→働き口が減る>という負のスパイラルが現在進行形で進んでいるのは間違いないように見えます。

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僧侶の皆さんは3組に分かれて、まずはそれぞれ違ったコースを読経しながら行脚。いずれも津波の被害が甚大な地域で、中には遺影や位牌を手に、自宅前で行脚を待っている人たちもいたと聞きました。

おおよそ2時間にわたる行脚を終え会場に一行が戻ると、休憩もそこそこに法要が始まりました。海を背に設置された祭壇を前に、70人の僧侶が着席。その後方に遺族など一般の参列者の席があります。なかには幼い子供に見える遺影を手に座っている方もいました。
般若心経の読経あと、亡くなられた方のお名前が記された紙が僧侶に配られ、僧侶全員で手分けして読み上げられました。最後は参列者全員で焼香して終了。何人のお名前が読まれたのか定かではありませんが、震災で亡くなられた人がいかに多かったのか、改めて思い知らされる鎮魂の時間でした。

報告 杉崎順一

2012年9月4日火曜日

海と約束

七ヶ浜の海岸にて


トシさんと出会ったのは昨年のGW明けでした。
4月の終わりに初めて石巻に行き床下に溜まったヘドロを掻き出すボランティアに参加していたとき、その様子をツイッターに投稿していると

「うちの風呂いつでも入りにきていいから!!」

と声をかけてくれたの彼でした。
さすがに見ず知らずの他人のうちでお風呂を借りるのも気が引けて
(当時は食料と水をなるべくリュックにつめ着替えも持たず
四日間風呂に入らずのボランティア生活でとても自分が臭かった)

お気持ちだけ頂戴して、せっかくだから今度また来たら飲みましょう
といって数週間後、対面を果たしました。

まだ全壊、半壊の家や瓦礫だらけの道路があちこちに残っていた頃で
当然、海も砂浜も流れ着いたコンテナや家屋の一部が散らかっていました。


海を愛するトシさんと地酒を飲みながらお互いできる限り復興に力を尽くして、早く元の東北のキレイな海を取り戻したいねと語り合い、
その時が来たら

「サーフィンを教えてくれる」

そう約束し、それが実現したのが先日、
震災から約一年半が経過した9月のはじめでした。

七ヶ浜の海は透き通っていてとても気持ちがよく
多くの人が波に乗ろうと集まってきていました。

まだ『元通り』とは決して言えないけど、
ちょっとずつ、確実に、前進しているのだなということを
潮風に吹かれながら感じました。

朝6時くらいの海。波の善し悪しはわからないけどめっちゃ気持ちよかった!
格好だけサーファー!!(笑)
震災・津波の痕跡もまだ痛烈に残っています。
 
東松島でもそうでしたが民宿は跡形もなく流されてしまっていました。






2012年9月1日土曜日

お礼の葉書

 
箱塚桜団地応急仮設住宅の自治会長さんから夏祭りのお礼の葉書が届きました。お手伝い、ご支援いただいた方へ、改めて御礼申し上げます。

お礼、次回芋煮会への想いの他に、仮設住宅での真夏の生活の一端がご理解いただけるかと思いますので多くの人の目に留まればと思い、掲載いたします。





文面を以下に書き出しておきます。

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立秋が過ぎてもまだまだ毎日が暑いですね。過日は、私どもの夏まつりに沢山の支援を頂戴して頂き誠にありがとうございました。参加者からお陰様で、大変よかった夏まつりだとの評価を頂戴しています。
  これも偏に笠原さまからの支援があればこそと思っています。何といっても笠原さんが無くてはならない存在ですよね。本当に本当にありがとうございました。桜団地の皆さんも、心より笠原さんにお礼申し上げています。屋台などに参加いただいた方々には、笠原さんから、よしなにお伝え願います。
  箱塚桜団地の皆さんは、この秋には「秋の芋煮会」だと言っていますが、約束をしたのでしょうか…? 信頼を寄せる笠原さんですから、私もその通りだとはなしていますが…。
 私どもの住んでいた閖上地区は、夏涼しく、冬暖かい地域ですから、夏場のクーラーは必要ありませんでしたね。扇風機も出しても約一週間くらい涼風を楽しんだものでしたね。ところが仮設住宅では、屋根が低く、鉄板葺きですので、まるで熱したフライパンを被っている状態で暑いの何のと言ったら…想像を絶する状態ですよ。無論クーラーは、狭い部屋の広さの割にはトテツモナイ位大きなものがセットされていますが、クーラーを点けると急に寒くなり、消すと暖気があがり、そのくり返しですね。そのような状態ですから身体によいわけがございませんですよ。その分、秋の芋煮会に寄せる思いが伝わるかと思っています。
  日増しに暑さが募ります。笠原さまには、お身体には十分自愛頂きお過ごされますようご祈念申し上げ、夏祭りの感謝の言葉といたします。

    平成二十四年八月二十一日

         名取氏応急仮設住宅桜団地 大脇 兵七 排  
 
 
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東北ほっとプロジェクト:笠原宗一郎