2012年6月22日金曜日

コミュニティー支援活動 石巻市

【6月19日~20日】協力しているボランティアグループ「一般社団法人チーム王冠」の支援活動に参加するため、石巻市に行ってきました。

私は今春以降、コミュニティーバスを使っての「お茶っこ」を任されていて、今回もお茶っこバスで石巻市内を回ってきました。お茶っこバスの活動内容については、以前のブログを参照してください。

19日は午前と午後で2か所を回り、台風であいにくの天気でしたが、それぞれ10人前後の方に利用して頂きました。雨模様なのでバス車内にお招きしてお茶やお菓子を一緒にいただき、お話しを伺いました。短い間ですが楽しい時間を過ごせました。

翌20日は台風一過でよく晴れ、気持ちの良い天気に。車内より外の方が気持ちがいいので、テーブルと椅子を外に出して「青空お茶っこ」にしました。屋外だと「あそこには幼馴染が住んでいた」とか「あそこの一家は仮設に移った」といったお話しも多くなります。
この日も2か所を回り、それぞれ10人以上に参加いただきました。


今回は両日とも市街地にほど近い住宅街での開催でした。しかし津波被害は甚大で、ある地域では震災後も引き続き自宅で生活しているご家庭が半分以下に減ってしまいました。
家人のいない家は一部を除き解体撤去が済み、更地に雑草が生えている状態です。解体されていない建物も珍しくはありません。
「今年もハエや虫が心配だ」(住民談)とのことです。
震災から1年以上が経ち、残っている家が半分以下。実際に人が住んでいる家はさらに少ないという状況で、「昼間でも歩いている人が少なくてとても寂しい」(同)町になってしまいました。


<不便な買い物>
住民が減るとコミュニテニーが壊れるだけでなく、毎日の生活も不自由になります。
例えば日常的な買い物です。被災した商店やスーパーが、住民(つまり客)が少なくなった土地では営業が難しいために再建されず、遠くの大型スーパーへ行かなければ買い物できない状況になりました。
したがってどうしても車が必要ですが、高齢で運転できない、車を津波で流された、1台の車を仕事に使っているので日中は使えない等の理由で、普段の買い物が簡単にできない人がとても多いようです。
生協や大手スーパーチェーンがトラックを使っての移動販売を行っていますが、被災地がとても広範囲で十分にはカバーできません。

買い物に限らず、自家用車が生活必需品だと痛感する環境なので、車がないと通勤や通院、役所、銀行への用事などなど、基本的な活動がどうしても制限されてしまいます。チーム王冠がサポートする移動支援活動(車いすも乗れるワゴン車を使用。もちろん無料)はニーズが多く、とても重宝されているのも納得です。


<「新しい」コミュニティーでの出発>
別の場所にて。
震災後に現在のところに引っ越してこられた方にお話が聞けました。
去年の3月までは海岸に近い場所(石巻市南浜町)に家があったそうですが津波で流失(南浜町は本当に全滅に近いエリアです)。仮設住宅も抽選に漏れたため、今の家(一軒家)を借りて住むようになりました。
したがってご近所さんとも震災後に知り合いになったわけで、遠く離れた場所ではないとはいえ、近所付き合いも1からしなければなりません。なるほど、外からはうかがい知れない御苦労があります。
(このような環境なので)お茶っこをやってくれると聞いて嬉しかった。ご近所さんと腰を据えて話しができる機会はなかなか作れないからね。できたらまたやってほしい」と言っていただき、こちらとしても嬉しい限りです。

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今回お会いできた方々は、おおむね落ち着いた生活を送られているようですが、さまざまな不便や行政への不満、将来の不安は挙げればキリがないといった印象です。それでも気丈に振る舞い、周りを思いやり、腹から笑って話してくれます。

一方で在宅、仮設住まいを問わず、仕事が無く引きこもりがちだったり、ギャンブルやアルコールに溺れたり、体を壊して外出できない人は少なからずいると思います。
コミュニティーや行政、ボランティアの目が届かないところにいる、しかし絶対にケアの必要な人たちの存在を忘れずに、今後の活動を進めていきたいと思いました。

記:杉崎順一

2012年6月2日土曜日

福島県南相馬市小高区

【5/26~28】
石油ストーブ支援終了後、久しぶりの東北行きでした。

とにかくまず感無量だったことは・・・
「あったかくなったなぁ!!冬を越えたなぁ!!」
ということでした。

最後に石油ストーブを配達に東北を訪れたのは3月末。
あの頃の寒さはもう感じられませんでした。むしろ温かかった。
まだこれから梅雨がやってくるとかなりの寒さにはなるのですが、
それでも なんだか自分の中でホッとしました。


さて、今回は予てより、落ち着いたら行こうと思っていた福島県南相馬へ。
石巻とは違い東京から直通の深夜バスもなく(昼間はあるようですが)

新宿(高速バス)→大河原(東北本線)→岩沼(常磐線)→
亘理(代行バス)→相馬(常磐線)→原ノ町

というルートで仲町ボランティアセンターに参加してきました。
途中で目にした岩沼、亘理、山元の水田に稲が整然と植えられている様が本当にうれしくて胸が震えました。

活動場所となった小高地区は今年4月まで警戒区域に指定されていて
一年前の震災の被害がそのままに残されていました。


住民の方は今でも立ち入りのみで居住は許されておらず、
そもそも農業用の井戸水以外は水も電気も復旧していない状況。

崩れたブッロク塀、潰れた建物、伸び放題の雑草。
地域内のコンビ二には一年前の雑誌が並んでいました。

当時、自宅の施錠もできずに非難を余儀なくされた方々の中には
この空白の期間に物盗りに入られたお宅も多くあったと聞きました。


仲町のボランティアセンターには全国から人が集まっていました。
5/26(土)40人弱
5/27(日)50数名
5/28(月)20数名

活動内容は
(1)側溝泥出し
(2)瓦礫の片付け
(3)敷地の草むしり

(3)のニーズはかなり多いようで居住はできないけれども
自分の敷地が荒れ放題になっているのを見ているのが辛いのでしょう。
「植木のせん定はできないか?」という問い合わせもありました。



作業内容は一年前に石巻でやっていた事とほとんど変わらない上、あの頃とは違い、重機はほとんどなく、マンパワーも圧倒的に不足しています。
そして一番気になったのはボランティアセンターのセンター長や町の人々も異口同音に言っていましたが

「何をやるにも気持ちがついてこない」
「モチベーションがあがらない」

原発関連の仕事が大多数を占めるような地域では、若い人や家族を養っていかなければならない人は町へ戻ってこないだろう・・・。原発がこの先どうなるのかまったく見えてこない・・・。そういった不安、喪失感、脱力感から次の一歩を踏み出すことのできないお年寄りの方々がとても多いのだそうです。



泥出し作業。粘土質で雨に濡れていて重く、足元も非常に滑りやすい。この集めた泥を処理場にもっていく段取りはあるのか?そもそも処理するところはあるのか?その辺りはよく分かりませんでした。壊れた塀の瓦礫なども一箇所に集めはしましたが、この地域ではまだ運び出すというフェーズにはないのかもしれません。


この日は雨がポツポツ降ってきたため、リーダーさんの判断で午前中で活動中止、撤退。撤退後雨脚は強まり、雷も豪快に鳴り響き、無理せず長い目で継続的な支援をおこなう必要性を感じました。


泥だらけ。ボランティアに行かれる方はきちんとした準備(合羽上下、長靴、ゴム手袋、マスクなど)をしていかないと非常に危険です。釘踏み抜き防止用の中敷も合ったほうがいいと感じました。


広い敷地の草刈り作業。刈るにつれ地面の凹凸が畝であることに気づき、そこが一年前は畑であったことが分かりました。再びこの地から元気に野菜が育つ事を願います。

かなり前の放射線量率地図。刻々と変わるものだと思うのですが・・・更新されてるのだろうか?



ボランティアセンターに設置されていた空間線量測定機。概ね0.13~0.15μSv/hぐらいでした。自分の持っていったガイガーカウンターもほぼ同じぐらいの値でした。風向きや測定する時の高さなどいろいろな事象に影響されますが多いところでも0.3~0.5μSv/hくらいでした。(参考値として東京の我が家は0.05μSv/h)



作業したお宅の庭の大量の雑草、落ち葉を掻き集めて計った値。
0.61×24×365=5343.6[μSv]≒5.3[mSv]

X線CT検査1回の被爆量の4分の1くらいなので、数値だけ見ると気にするところではないようですが、放射線は目に見えないだけにこれがいつの間にか変化するのではという不安が市民の方々のストレスになっているのは間違いないだろうと思いました。局地的には浪江町に隣接するあたりは20μSv/hを計測するところもあるらしく、福島から南相馬に通うボランティアさんも「さすがに車の窓を開ける気にはならない」と言っていました。実測ベースでいうと沿岸部はそれほど高くなく、福島第一原発から北西の山の高い所の空間線量が大きいようです。


震災後に行方不明者の捜索が行われ、作業が終ったところに目印の白旗が立ててあります。そのままの状態が今日まで続き、その光景に唖然としました。



新しい電柱。まだ電線は張られていない。水道に関しては一年間メンテナンスされていない配管や浄化槽など問題は多く、復旧に最低でも2年はかかるという話もあるとの事でした。 

いろいろとお話を聞かせてくださった地元の方々。ビールご馳走になってしまいました(^^;)ありがとうございました。みなさんとっても気さくな方々でした。


南相馬市役所の敷地にの神戸から分灯された”希望の灯り”

東日本大震災で亡くなられた方々の「生きた証」として、福島第一原子力発電所の事故でふるさとを離れざるを得なかった方々への「道しるべ」として、今を生きるすべての南相馬市民の「希望の光」として・・・


記:笠原宗一郎